コース6 メディアと戦争

¥ 9,000

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映像を「読む」

このシリーズは、映像を見るという常識をはなれて、「読む」ことに専念してみようという試みです。読書会ならぬ「読映会」です。ドキュメンタリーには、見えにくい文体(style)があり、それを読み解くことで、あらためて発見できることがたくさんあります。
パンデミックの閉塞感のなか、複数の人間が同じ映像をじっくり読み込み、語り合うことで、映像の背後に隠されてきた時間や空間、とりわけ戦争の深層(deep structure)を浮上させ、共有することは大切なことです。
日本におけるテレビの草創期は、戦後の復興経済から高度成長経済にさしかかる時期と重なります。殊に、戦争に関するドキュメンタリーは、戦争被害の実態を体験者の証言から再構築することから始まり、やがて、日韓基本条約やベトナム戦争への批判から、戦場となったアジアへの視点を拡大していくようになりました。次に、冷戦の崩壊、昭和天皇の死去などを契機に、戦争指導者の責任を追及する放送が出始め、併行して、中国大陸、朝鮮半島、東南アジアにおける戦争犯罪など、日本人の加害責任を問うようになりました。当然のように、それに対する反動も激しくなり、歴史教科書の記述をめぐり「自虐史観」との攻撃をする勢力も勃興してきました。
今では、戦争に関する番組は、歴史修正主義との激論の磁場から自由に放送することはできなくなっています。しかし、次世代の作り手たちを中心に、さまざまな視点も発掘や、表現の方法などを考え、過去に対する戦争責任とともに未来に対する戦争責任を強く意識したドキュメンタリーが生まれ始めています。
以上のようなドキュメンタリーの変遷を、時代の背景とともに考えていきたいと思います。
講座で使用する映像は、個人がテレビ放送で録画したものです。


※ お申込み時、購入者情報の備考欄に、オンラインかオフラインのいずれをご希望か明記してください。

※ オープン記念特別クーポンについてはこちら https://bit.ly/2MoAbbw
開催方法
オンラインとオフライン(あめにてぃCAFE・梨の木舎)

開催日
全6回・原則として隔週土曜日 (14:00~16:00)

定員
50名 (オフライン10名含む)

参考図書
- 桜井均『テレビは戦争をどう描いてきたか 映像と記憶のアーカイブス』(岩波書店、2005年)


コーディネーター
- 内海愛子(大阪経済法科大学特任教授)
- 李泳采(恵泉女学園大学教授)
- NPA事務局

講師:桜井均(立正大学社会学科非常勤講師) ※講師はオンライン参加
1946年生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。NHKに入局。スペシャル番組センター、エグゼクティブ・プロデューサーを担当。この間,主に教養番組,ドキュメンタリーなどの制作にあたる。立命館大学映像学部、東京大学情報学環、立正大学社会学科などで教員。著書に「埋もれたエイズ報告」など。
受賞 
- (1994年) 日本ジャーナリスト会議大賞、放送文化基金賞 NHKスペシャル「埋もれたたエイズ報告」
- (1992年) 放送文化基金賞本賞 NHKスペシャル「東京裁判への道」
- (1991年) 放送文化基金賞 NHKスペシャル「チョウムンサンの遺書~BC級戦犯裁判~」
- (1981年) 文化庁芸術祭優秀賞 ルポルタージュにっぽん「米ソ艦艇・謎のUターン」

◆ 第1回 2020年7月4日(土)
「和賀郡和賀町 ~1967年・夏~」(1967年11月3日)
岩手県和賀町は、奥羽山系の山ふところから平野に向かってのびる典型的な東北の農村である。人口1万7000人、その7割は農家である。この放送までの10年間に3000人が減った。この地はアジア・太平洋戦争中に出征した農民兵士の手紙を蒐集、編纂したことでも知られる。高度成長期、第二次構造改善事業で大農化、集約化、機械化が進み、大量の余剰人口を東京に送り続けた。農民兵士の次は出稼ぎ者と集団就職の若者たち。戦争の傷跡が癒えないうちに、次の荒波が和賀町を襲っていた。そのため、村の行事は毎年夏のお盆の時期に集中する。成人式、老人福祉大会、出稼ぎ者座談会、村対抗運動会、そして戦没者慰霊祭。複数のカメラが、人々の動きを追い、その多声(ポリフォニー)のなかから、戦争の惨く隠された告白を聞き分ける。南方戦線での人肉食の記憶が語られるが、その映像はストップモーション。消された声が、かえって心に響く。こうした現実は、公刊戦史には出てこない。


◆ 第2回 2020年7月18日(土)
「皿の碑」(1974年8月9日)
四国88か所の札所浄瑠璃寺(愛媛県)の本堂の裏の縁の下に捨てられていた300余枚の皿。そこには七五調の4行詩が書かれていた。ニューギニア、サイパン、満州、華北、ビルマなどの地名があり、村の戦死者の仕事や人となりが焼き込まれていた。戦後の占領下、村の出身の元新聞記者相原熊太郎が一軒一軒を歩いて書き綴ったものであることがわかった。いったい彼らはどこでどんな死にかたをしたのか。そして、なぜ皿はそこに打ち捨てられていたのか。90歳になった元記者は、東京にいた。しかし、視力を失い、記憶も薄れていた。取材班は、老人の足跡をたどり直すことにした。わかってきたことは、村の人々は戦争のことに触れることで、GHQの不興を買うことを恐れるあまり、元記者を排斥したことだった。日本の戦後処理のあいまいさを、打ち捨てられた皿が物語っていた。


◆ 第3回 2020年8月1日(土)
「昭和の誕生」(1977年1月13日)
昭和天皇在位50年というタイミングで、昭和という時代がどのように誕生したのか、そこにかかわった人々のその後を追ったドキュメンタリーである。昭和2年に挙行された天皇即位式の映像が防衛庁の廊下の片隅から出てきた。それは陸軍陸地測量部が撮影した音声を伴わないフィルムだが、式典の進行状況は、日本放送協会が別個に中継したときの録音と完全に一致する。正確無比に行われたのである。かくて、国民は、天皇が現人神になっていく瞬間を目撃した。画面ににじみ出ているのは、日本人のなかに内面化されていく天皇制の「呪力」である。このページェントに参加した人々は、この後、戦争の時代に突入していく。


◆ 第4回 2020年8月22日(土)
「戒厳指令“通信ヲ傍受セヨ” 2・26事件秘録」(1979年2月26日)
昭和が誕生して11年目、1936年に二・二六事件が起こった。昭和天皇35歳の時だった。二・二六事件は、陸軍の青年将校らが天皇中心の「親政」を実現しようと、テイト東京の中枢部で蹶起し、首相をふくむ重臣たちを暗殺または重傷を負わせたクーデタであった。しかし、このパニックのなかで、秘かに電話が盗聴されていた。その録音盤が発見されたのである。それは、青年将校と北一輝(「日本改造法案」の著者)の会話、兵士たちに原隊復帰をうながす上官の声などを記録していた。皇道派のクーデタはなぜ盗聴されていたのか。のちに、軍上層部がからむ陰謀事件の解明の端緒になった番組である。


◆ 第5回 2020年9月5日(土)
「戦犯たちの告白 ~撫順・太原戦犯管理所 1062人の手記~」(1989年8月15日)
昭和天皇の死去後初めての終戦記念日特集。中国の撫順、太原における戦犯裁判で有罪とされ、教育を受けたのちに帰国した日本軍将兵が書いた手記を携え、あらためてそれを書いた本人の証言をを求めた番組である。その中には、自分たちが略奪、放火、殺戮を行なった中国の村々を訪ねる人たちがいた。直接対面した中国人の厳しい言葉に、身を凍らせる姿もあった。(放送から11年後、そのなかの二人の元兵士が東京・九段会館で行われた「女性国際戦犯法廷」で証言した。しかし、それらはETV2001「問われる戦時性暴力」の改ざん事件で、放送直前に落とされてしまった。)


◆ 第6回 2020年9月12日(土) 隔週でなく連続週となります
「チョウ・ムンサンの遺書 ~シンガポールBC級戦犯裁判~」(1991年8月15日)
1941年末以降、日本軍は、東南アジアに進攻し、連合国軍の将兵を捕虜と収容し、泰緬鉄道の建設などで過酷な強制労働に駆り立てた。このとき、労働力を供給した捕虜収容所の監視員のなかに、朝鮮半島出身が含まれていた。戦後、現地で開廷されたBC級戦犯裁判で、彼らは日本人として裁かれ、重い刑を言い渡された。その一人、チョウ・ムンサンは捕虜にビンタをはったことがジュネーブ条約に反するとして、一審即決で死刑を宣告された。彼が、処刑の直前まで綴っていた遺書が残されている。そこからは、日本の朝鮮植民地支配を受けた若者の無念の思いが伝わってくる。また、死刑を免れ、スガモプリズンに移送された韓国・朝鮮人の戦犯たちは、戦後10年たって釈放され、日本の地に住むことになった。彼らは、日本人として裁きを受けながら、GHQの占領終了後は、韓国・朝鮮人として戦後補償の対象から外された。日本の植民地支配の責任がいまだに果たされていない。